ライフ

#3000文字チャレンジ”平成”

平成が終わる。

 

平成とは、私が生まれた年である。

平成2年(1990年)なぜか多い6月のベイビーとしてこの地球に誕生した。

それはそれは素晴らしい世界を与えてくださった両親にとても感謝している。

 

あと1年早ければ元年。

そして昭和との境目であったが、バブル崩壊とともにわたしの産声も鳴り響いたのだ。

それが30年とちょっとで幕を下ろすらしい。なんとも寂しく、切ないものである。

時代が終わるという経験を人生でしないと思っていた。光栄なことなのかもしれない。

私が感じた”平成”のあれやこれやを今回は語っていくことにする。

 

一言でいってみる。

 

平成=デジタル。私個人が平成を一言であらわすならそうなる。

デジタルの革新は社会に大きな影響を与えたし、人々の生活に便利をたくさんもたらした。

しかしその反面、不便も生じている。

 

便利とは、何かを犠牲にして生まれた合理化だと思っている。

その犠牲の声を無視し続けるわけにはいかない。例えば…そうだな、わかりやすいところでSNSの普及。

インターネットが当たり前になった。

デジタルはアナログをつぶしていった。本や雑誌、書籍、あらゆる媒体が電子化されてきた。

私は分厚い月刊誌が大好きだった。

小さいころ、風邪をひいて休もうものならよく漫画の単行本や小学生向けの月刊誌を読み漁っていた。

 

そんな風邪をひいて休んだある日のことである。

近くに住む男子小学生の友達が家にやってきた。プリントを届けてくれに来たのだ。

もうすっかり良くなっていたので、私は2階から降りてお礼をしに玄関へ向かった。

「わ!お前、コロコロコミック読んでるじゃん!全然元気なんじゃねーか!!」

ばれた。

いや、なんか悪い気はしてた。子供ながらに、休んでいるのに漫画を読むことなんて。

でも止められなかった。

でも現代なら、スマホをいじっていても何をしているのかは分からない。

アプリでゲームをしているかもしれないし、漫画を読んでいるかもしれない。はたまた学習ツールで勉強をしているのかもしれないし。

私があのときのまま、現代にタイムスリップして同じ状況ならば。

スマホを片手に2階から降りてきて、

「わ!お前スマホいじってる!全然元気なんじゃねーか!」

『…いや、今日休んだ分の勉強を、アプリでしてるだけだよ』と、画面を見せるだろう。

「あ、なんだ。そうか。じゃあお大事に、明日学校でな」

なーんて展開になるのだろう。

でもコロコロコミックは、一目でわかる。勉強じゃない。遊びだ。マンガだ。それも、最高に面白い。

そう、一目でわかるんだ。その人が何をしてるのか。

 

話しがそれてしまった。

SNSの普及が発端で、今は様々な議論がなされている。

「スマホを何歳からもたせるか?」「SNSを子供にやらせないべきか」

SNSはもとより、スマートフォンを持たせるかどうかというところなんだろうけど。

スマホって単なる連絡ツールじゃなくなった。

携帯電話みたいに、電話、メールのやりとりと、重すぎるサーバーのインターネットだけじゃない。

なんでもできてしまう。恐ろしいくらいに。

だから、スマホひとつ触っていても、その人が「何をしているのか」は外からは見えない。

それって非常に恐ろしいことだ。

 

先生に隠れながら、教科書の内側に漫画をサッと忍ばせて読む。これはバレる。

いやバレないかバレるかくらいが楽しい。やっちゃいけないんだけど。

なんかそういう、物理的なぶつかりあいがなくなったんだ。

だから、匿名で書き込める現代は、水面下で動くようになった。見えないところで、誰か分からない世界中の他人から意見を徴収する。そして衝突する。

まだ知らない他人ならいい。

現実でも友達だったあの子が、水面下では悪口を言っていたらどうだろう。

まさに”いじめ”の原因になるであろう問題だ。

 

デジタルがなかった時代は、人間と社会。この二つだけだった。この二つだけでこの現代が成り立っていた。

でも今は、そのはざまに新たな世界が生まれてしまった。

人間と、水面下の世界と、社会。

間に一個挟まってしまった。デジタルが生み出したものは、便利だけじゃなかった。

実は、”不便”も生み出していたんだ。

 

水面下の世界は非常に不便で、恐ろしくて、怖い。

顔を合せていた知人が、別れた後に会話の内容をたまらず書き込むのをどう思うだろう?

先ほどまであった人間と人間だけの現実から、すぐに切り離されてしまった。人間が、水面下の世界に戻ってしまった。

こんなに不便で切ないことがあるだろうか。

人間と社会を行き来するだけの世界だったんじゃないのか。

間の余計なもうひとつの世界は、非常に不便だった。

 

とはいえ、「言いたくても言えないこと」は昔からあったはずだ。

憎いあの人のことも、”ワラ人形”やなんかで憂さ晴らししていた。なんともアナログな時代である。

それを今では、気に入らない人間がいればその水面下(ネット)でさらし上げる。SNSで回す。

たちの悪いやり方に変わってしまった。

良いものが発売されれば、悪用する人間はいるし、何かにかこつけて悪いことをしようとする人間はいる。少なからず。

しかし、便利の裏側に存在する何かをもっと明らかにしていく必要はあると思うし、切り捨てていったものたちをなんとか再構築しなければ絶対に弊害はなくならない。

 

SNSの普及が一番深刻だとは私は思うが、デジタルは他にもたくさんのものを生んでいる。

自動運転、革新的なハイブリッド車、AI、ドローン技術…。

リスクや悪用をなんとか抑えていきたいものである。エライ人、頼みます。

 

そうはいってきたが、ダメなものばかりでもない。

SNSだって、こんなふうに会ったこともない人間に思いや考えを伝えることができる素晴らしいツールだとももちろん思う。

遠距離恋愛のカップルだって、月に一回のデートだけでなくなった。

テレビ電話でその愛を顔を見ながら逐一確かめることもできる。どんなに離れていようともだ。

そういう素晴らしい世界がもっと広がっていってほしい。

デジタルは、その技術が無限の可能性を秘めていることを証明したはずだ。

 

アナログからデジタルへ、バトンを渡すなら一つだけ。

”ココロ”を絶対に忘れないでほしい。

スマホも自動車もドローンも、操作するのは人間であり、ロボットじゃない。

 

人間のココロはものすごく面白い。

人の数だけ形があって、変形自在で、温かかったり、冷たかったりする。

そして、ココロを映し出したカタチは世界に残っていく。

カラダはなくなったとしても。

ちなみに私は今非常に心理学というものに興味をもっていて、研究していて、学んでいる。

(余談だ)

 

デジタルよ、生身の人間のココロをいつまでも忘れないでいてくれ。

アナログの時代にあった”温かさ”をどうか切り捨てずに、その技術を進歩させていってほしい。

その辺の偉い人、お願いしますね!!

 

昭和は温度を直接感じられた時代。

平成は温度をコントロールできるようになった時代。

令和はその両方をどうかうまいこと共有していってほしい。

 

時代は20XX年。

かつてコロコロコミックで読んでいたマンガの時代が、ついにそこまできてしまった。

あのときの、あの未来が現実になってしまった。

 

私は来年30歳になる。

共に歩んできた”平成”よ、お疲れ様!そして、ありがとう。

 

さて”令和”さんよ。

こんにちは、いらっしゃい。一体どんな時代にしてくれるんだ?

さぁ始まるぞ!

 

 

 

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DJやきいも
北海道在住。20代アラサー主婦。メンタル改善とマインドチェンジをテーマにビジネスから恋愛まで幅広い知識をご紹介。他にも自身の妊活記録やコラムなども公開中。