@DJやきいもです。今回は”交通事故”や”安全運転”に関するコラム。
最近多く目にする事故のニュース、、
『私は運転に自信があるし、私に限って事故はない』なんて思っていませんか?
今日は心理学と交通事故を関連付けて紐解いていきます!
目次
止まない交通事故のニュース
2019年に入って、交通事故のニュースが後を絶ちません。
いまいちど気を引き締めるべく、これ以上悲しい事故が起きないために。
池袋の事故
https://mainichi.jp/articles/20190507/k00/00m/040/203000c
2019年4月19日。
10連休を前に浮足立つ世間とは裏腹に、悲しい事故が起きました。
10人が重軽傷を負い、さらに親子二人が亡くなってしまいました。
横断歩道を渡っていた親子の平穏な日常を、1台の自動車が奪うことになりました。
アクセルとブレーキを踏み間違えた可能性が高いと警察の調べで分かってきたそうです。
(2019年5月9日現在)
運転していたのは87歳の男性。元医師の方。
高齢者の運転免許問題など、課題は山積みです。
どうして防げなかったのか?やはり原因を突き詰めると運転している人間にあるはずです。
二度とこのような事故をこれ以上起こさないために早急な原因究明と対策が必要なのは言うまでもありません。
亡くなった親子のご冥福をお祈りいたします。
大津市の事故
そして相次いで起きた2019年5月8日の事故です。
滋賀県大津市で発生した園児死亡事故。
大津市の園児が犠牲になった事故。
— 生田綾 Aya Ikuta / ハフポスト (@ayikuta) May 9, 2019
横断歩道の手前に車止めとなるポール(支柱)があれば、事故は防げたかもしれない。専門家が指摘しています。
日本は歩行者の死亡事故が多い。歩行者視点の安全対策を見つめ直すタイミングでは?
この記事、ぜひシェアしてほしいです…。https://t.co/FnNe4lNTSN
このケースは、よくある”右直事故”というものです。
右折しようとしていた車と、直進する車。交差点で信号は両者ともに青ですね。
自動車学校でもこの事故のケースは取り上げられることが多いです。
一人の一瞬の不注意で、幼い園児の未来が奪われてしまいました。
右折車の女性は「前をよく見ていなかった」と供述しているそう。
言葉も出ません。
自動車は凶器になり得ます。
この一瞬の気のゆるみでこんなにも犠牲が生じ、傷つき悲しむことになってしまいます。
どこか一つでも改善できていたら。
歩道にガードレールがあったら。直進車も注視して右折車を確認していれば。
たらればは探せばキリがありませんが犠牲が出てしまってからは遅いのです。
被害に遭われた方、そして未来あるはずの若い2名の命。
ご冥福をお祈りいたします。
【経験談】事故に遭った私のハナシ
実は筆者本人もこの”右直事故”に遭ったことがあるのです。
だからこそその怖さを知ってほしい。
私が中学生の時のハナシです。
私の住む地域は車がないと不便な自動車必須の街。
なので、よく母親の運転する車で出かけていました。
夕方のあるとき。
何度も通ったことのある、普通の交差点です。
右折する私たちの車と、直進してきた自動車が衝突し事故を起こしました。
今だから言えますが、
衝突したのが後部座席だったから今の私はあります。
これがもし、後ろに乗っていたら。私はここにはいないかもしれません。
私は幸いむち打ち程度で済み、この事故による負傷者は私くらいです。
子供ながらに、車の運転の怖さと命のありがたみを感じたのを覚えています。
「自分は大丈夫」という心理
正常性バイアス
▼過去記事にもまとめてあります。
正常性バイアス=「私は大丈夫」という過小評価の心理のことを指します。
「毎日運転してるし、何も問題ない」
「一度も事故に遭ったことはないし今後も大丈夫だろう」
「私に限って運転ミスや不注意なんてありえない」
こんなふうに思っていたら、要注意です。
そのメカニズムによって危険を回避できない事例が世の中にはたくさん存在します。
この心理に踊らされずにある程度の危機感は常日頃持つようにしましょう。
世知辛い世の中ですが、自分を守れるのは自分だけですからね。
右直事故の怖さ
事故が最もよく起こるのは交差点と言われています。
交通は無数のクルマが行き交う社会。譲り合いの精神がないとうまく機能しません。
普通に道を歩いていても、人とぶつかることがありますよね。
それと同じで、クルマも周辺環境に合わせてとっさに判断しなければなりません。
以下の動画をみてみましょう。
※衝突事故の映像が流れます。苦手な方は閲覧注意
乗用車と平ボデーのトラックがまさに右直事故を起こした瞬間です。
0.1秒の世界ですね。右折車は見えにくいのでしょうか。
大津市の事故同様、道路の作りも関係しているのかもしれません。
自分の中の”当たり前”を交通ルールにしないこと。
そして確認作業を決して怠らないこと。
慣れている方こそ、注意を怠らないでください。
人間の”慣れ”の怖さはどの作業場においても言えることです。
過信せず、奢らずに慢心しないよう初心をふり返ってみるのも安全運転のうちのひとつですね。
どんなに走行し慣れている道でも、毎日乗る車でも、プロの運転手でさえ安全確認は怠りません。
当たり前ですが。というか、プロほど確認を最重要作業として認識しているくらいです。
慣れによる”気のゆるみ”が事故につながるからですね。
その自信が、残念な事故になる前に。
私も運転を毎日しますので、日々自分の状態や周囲に目を配り気を付けるようにします。
社会全体がほんのちょっといつもより意識して安全運転できればいいなと思います。
”だろう運転”は車だけじゃない
よく「だろう運転」「ながら運転」なんて言葉を聞きます。
- ちゃんと止まってくれるだろう
- まさか進んでこないだろう
- いっても大丈夫だろう
これらに共通して言えることは、”確認”ではなく”憶測”で判断しているということ。
確実に安全を確保できていれば「だろう」にはならないはずです。
そしてこれはドライバーだけでなく、歩行者にも言えることです。
街中ではスマホをいじりながら歩いている人や音楽を聴きながら周囲をよく見ていない人がいますね。
事故はいつどこで起きるか分かりません。
普通に万全を期して歩いているだけでも車が突っ込んでくるのですから。
ならば、最大限に注意して歩くほかないのです。
少しの注意で、被害を最小で食い止めることはできるかもしれません。
大きな事故につながる前に”だろう”や”ながら”をもう一度考えてみましょう。
まとめ
私は前職で事故に関わることがたくさんありました。
毎日毎日、その件数の多さに驚愕するほどです。
そのくらいこの世界には自動車が普及していて、当たり前に運転できる時代になりました。
クルマは人間の生活を豊かにし、便利を生んできました。
しかし使い方を間違えれば凶器になる塊です。
自転車とはワケが違います。
10キロであれ、100キロであれ、小さい大きいにかかわらず事故は事故なのです。
これ以上悲しい事故が起きないように、過信せずセーフドライブを心がけましょう。
日本社会全体にそういった空気が流れます様に。私も気を付けます。
改めて、取り上げた2件の事故に遭った方、被害者の方のご冥福をお祈りいたします。
お読みいただきありがとうございました。