@DJやきいもです!(^^)/
最近話題になったあるニュースを本日はピックアップ。
日本最高峰の大学”東京大学”の入学式で披露された祝辞が物議を醸しだしています。
目次
どんなニュース?
⬜︎上野千鶴子さん東大入学式の祝辞全文https://t.co/k272ewR8np
— フィフィ (@FIFI_Egypt) 2019年4月15日
上野さんが述べていることはあながち間違っていない。ただこれを性差別な社会だ!と短絡的な批判に繋げるのは違うと思う。天然キャラとか、玉の輿婚とか、メディアが作り上げた憧れの女性像に違和感なく乗っかる女性も多いのだから。
2019年4月に行われた東京大学入学式でのこと。
社会学者である上野千鶴子さんより新入生に送られた来賓祝辞の内容が物議を醸した。
要約する。
- 報われない社会が存在する
- 女性差別の現実
- メタ知識を身に着けるべし
もちろんたったの3点でまとめられるほど私には学というものがない。
東京大学公式HPに全文が記載されているので、是非個人でチェックしていただきたい。
結論から言うと、私にとってはすごく意味のある祝辞だと感じた。
私は東大生でもなければ、社会で活躍してもいないが、心に刺さったのは間違いない事実だ。
その理由をこれから述べていくことにする。
上野千鶴子氏について
で、誰?このスピーチの人。ってハナシである。
主に”女性”と”社会”を研究している方だそう。
失礼ながら私はこのニュースがでるまで知らなかったが、意外にも若く見える…(余談)
冗談は置いといて。
ニュースで取り上げられている主なワードはパフォーマンス性の高いパワーワードばかり。
しかし、全文を読むことでその成り立ちから言わんとすること全体を見渡すことができる。
マスコミのかいつまんだ部分だけを飲み込んで生活する我々にはかなり辛口に聞こえがちだが…
フタを開けてみると意外とすんなり理解がいったのは私だけだろうか。
東大新入生の反応は?
【東大入学式】上野千鶴子さん祝辞の反応は。東大女子のつらさ思い出し涙したOG|BUSINESS INSIDER https://t.co/irMOpiLQ69 @BIJapanさんから
— DJやきいも@心理学&妊活 (@djyakiimo0611) 2019年4月16日
以下、東大新入生の反応をまとめてみた。
- 『現実味のある祝辞だった。自分以外の人にその知識をつかえというのが響いた。』
- 『言わんとすることは理解できるが、祝辞というのには少し辛口すぎる』
…うーん。
全く持ってその通りすぎる。
さすがは知の最高峰と言える。
発するほうにも受け取るほうにもインテリジェンスを感じる…(←言いたいだけ)
ともかく、大きなインパクトを残したことは間違いないだろう。
なぜ賛否両論なのか
”報われない社会”という言葉
スピーチにあった”報われない社会”という言葉について考えてみる。
そっくりそのままこの言い回しなわけではない。本文を言い換えたワードである。
以下、
独自の解釈を織り交ぜてまとめてみる。
『社会は甘くない。これまで勉強だけで乗り越えられてきた様々な困難に、これからは通用しない。その知を今度は自分のためだけではなく他の幸せに使ってみなさい』
とこんな感じ。
まるで入学式ではなく、卒業式祝辞のような未来を見据えた発言だ。
この言葉を捉えるにあたって賛否両論なのだ。
『報われないんじゃ夢も希望もないのか』などなど厳しい批判が聞こえてきそうなこのワード。
様々な受け取り方があって当然なのだが、私は個人的にプラスに聞こえた。
”出発”の瞬間は卒業にも入学にもある。
スタートラインでこの言葉の意味を考えられたことに、ポジティブな印象を受けた。
まさに「そのために学べ」に繋がっているのではないかと感じた。
女性と社会の間の溝
他にも女性の入試問題や差別問題を取り上げた。
なぜ、この華々しい祝辞の場面でこの話題をチョイスしたのか?
近年問題になった入試差別問題は新入生にとっても記憶に新しい。
そして彼女自身が”女性”を考えるパイオニアだからというのもあるのだろう。
これは、女子学生のみに訴えている問題ではない。
むしろ、”女性”を考えるにあたり多くの男子学生に向けてともいえるだろう。
東大生はとくに女子学生に対しての差別が多いと聞く。
結果として、
この問題を大学内だけでなく”社会全体に向けて”アナウンスされたことは、女性差別問題の前進になったのかもしれない。
いち大学の祝辞の言葉だが、東大は凄まじい影響力をもつ学術機関なのだ…。
ジェンダーを考える
おっと話がそれてしまった。
上野氏が”女性”を考える第一人者として発した数々の言葉たち。
先駆けとなって切り開いてきた道。過去。
そして今。多種多様な現代に新たな学問が生まれた。
『ジェンダー』に関する研究である。ジェンダーとは、社会的性別のこと。
人間には様々な役割がある。”女性”であること。”長女”であること…。
果たして”女性らしさ”とは??
何故東大女子学生は周囲から一歩引いた目で見られるのだろう。
そこにはインテリジェンスな女性に対するステレオタイプと深いつながりがあるのかもしれない。
今でこそ男女平等が取り上げられているが、現実はどうなのだろう?
もちろん進んでいることは言うまでもないが、未だ根強い男女差別が存在していることは目を背けられない。
それに関して彼女は「切り開いてゆけ」と力強いメッセージを発信している。
エリートを輩出する日本一の学生に向けてこそ、何か意義を感じるところがあるのかもしれない。
まとめ
とはいえ、上野氏の祝辞のつづりはこうである。
『-ようこそ、東京大学へ。』
これがすべてなのだろう。
約3~4のポイントに分けて発言されたこの祝辞。
その内容こそかいつまんでマスコミが好き勝手に報じてはいるものの、大事な部分が抜けている。
これが”祝辞”だということだ。
辛辣な印象を取り上げて話題にしたいという意図はマスコミとして分からなくもない。
ただ、私には”なんだかんだ言ったが両手を広げて温かく迎え入れます。ウエルカム!東京大学”と、そう聞こえたのである。
そう、その最後の一文を聞いたときにだ。
冒頭から終盤まで悶々とした感情さえ抱くが、その末尾に込められた祝福の想いが花を咲かせたようなそんなイメージである。
そして新たな扉を今まさにひらいたような、背中を押されたような気分になる。
私が学生ならば、素晴らしい祝辞だと感動して受け入れる。
話題になるという事は何かしらの”影響力”があるということ。
これは世間が東大のもつ”学術研究”、”知識”、”学び”すべてに期待が込められているとしか思えない。
どんな未来が待っているのか?希望さえ感じる私も楽しみに待つうちのひとりである。
ともあれ、平成最後の春。
そんな祝辞を背に、門を叩いた努力と才能の若人たち。
今後の日本を支えるトップたちに、乞うご期待である。